北里と種痘

SOEKAWA, M. (1983, July 30). Contribution of Shibasaburo Kitasato to the Improvement of Smallpox Vaccine in Japan. 日本医史学雑誌, 29(3), 352–348.

ロベルト・コッホの研究室に7年の在籍の後、1892年に北里は帰国し、1893年に東京天然痘ワクチン研究機関のアドバイザー、1902年には同機関の理事に就任した。

北里は自身の細菌学での功績により、日本の天然痘ワクチンの改善に貢献した。本稿では、その貢献を簡潔に紹介する。

1.天然痘ワクチン生産用の輸入牛の検疫にツベルクリン検査の導入

周知の通り、北里はツベルクリンの研究に関して、コッホから最も信頼を寄せられた同僚であり、彼自身ツベルクリンと、その応用によく精通していた。こうして、彼はツベルクリン経皮検査を、日本での天然痘ワクチン生産用に輸入された子牛に実施した[1]。ツベルクリン検査は、予備的隔離下にあった牛達の臨床的な結核診断の補完となった。

2.天然痘ワクチンの殺菌にフェノールを使用

1896年5月14日、エドワード・ジェンナーによるワクチンの発見の盛大な100周年記念会が東京上野公園で開催され、6,000人以上の人々が参列した[2]。

この会にて、北里はジェンナーに論文を献上した[3]。この論文は、グリセリン化した天然痘ワクチンの汚染細菌を殺菌した実験報告であり、そこでフェノールが最も効果的な化学物質であったと結語していた。

北里論文の原文では簡潔に以下のように要約されている。
天然痘ワクチンの殺菌には60℃の加熱が必須だが、同時にワクチンの力価を破壊してしまう。シャンベラン型濾過器でのワクチンの濾過により細菌を除去した濾過物が得られるが、その力価も同時に喪失する。チモール、サリチル酸、ホウ酸のような化学物質を様々な濃度で添加した。これらの化学物質の溶解度は小さいので、ワクチンの力価を弱めるために高濃度に希釈された。多くの化学物質を調査した結果、フェノールがこの目的に最も適していた。

(1)フェノールの殺菌テスト

Strept.Pyogenes(A群溶血性レンサ球菌)の水懸濁、Staphyl.Albus(白色葡萄球菌)、Staphyl.Aureus(黄色ブドウ球菌)、Staphyl.Citreus、Pseud Aeruginosa;Ery.rhusiopathiaeとPast.multocidaのブイヨンブロス培養液、及びBac. Anthracisを人工接種して直前に死亡したモルモットの心臓血液を通常のグリセリン化ワクチンと等量配合した。これらの試料にフェノールを0.66-0.80%の濃度で添加し、冷蔵保存した。5-7日後に検査した所、全ての検体で殺菌が確認されたが、Bac.Subtilisの胞子が時に検出された。

(2)力価への影響

1)子牛(3~3.5カ月齢)への接種によるテスト

保管(日数)/フェノール(%)0.50.660.80
6●**-**
27
40
64
72-*
-:Takes were not influenced.
*:極少数の生きた細菌が検出
**:生きた細菌は検出されず
●:力価テストを未実施

2)人間への接種によるテスト

フェノール(%)保管(日)被接種者のイニシャル(フェノール添加)片腕への接種(通常)別腕への接種
0.5040
40
70
70
97
97
97
S(♂)
S(♂)
M(♂)
Y(♂)
K(♂)
S(♂)
H(♂)
5*
5
5
5
4
4
4
5
5
5
5
5
5
4
0.6686
86
104
104
105
K(♀)
K(♂)
T(♀)
O(♂)
I(♂)
4
2
2
1
2
3
4
1
2
3
0.8010
10
10
30
30
30
I(♀)
M(♂)
T(♀)
T(♀)
O(♀)
T(♂)
4
2
5
5
4
4
5
4
5
3
5
4
* :5回の接種で陽性となった数

結論

1)通常のグリセリン化ワクチンに0.66-0.80%濃度のフェノールを添加した後、7日間冷蔵保存して細菌フリーの天然痘ワクチンを調製した
2)保管から100日後、フェノール添加ワクチンは実践的使用に十分な力価を維持していた。
3)細菌フリーワクチンは、通常のワクチンで時々見られた不快な、重篤な炎症を非接種者に惹起しなかった。

3.種子ワクチンウイルス(seed vaccine virus)の力価を維持するための手順の開発

当時、ワクチンウイルスを子牛で3~4世代に亘って連続的に継代させることはほとんど不可能だと考えられていた。北里は、細菌で汚染された天然痘ワクチンが、ワクチンウイルスの連続的継代を困難なものにしていると推測した[3]。

北里の助手の一人である梅野信吉は、細菌フリーの種ウイルスと使ってワクチンウイルスの連続的継代法を研究した結果、以下の前提条件を満たす場合、力価を失わず数世代に亘る連続的継代が可能だと結論付けた[4]。

-1)接種をする皮膚の面積が、子牛の体重と比例していなければならない。
-2)子牛の接種に使用する種ウイルスは、特定の濃度で希釈されていなければならない
-3)細菌フリーの種ワクチンウイルスが接種に使用されなければならない。

考察

天然痘ワクチンの生産にフェノールの使用が、日本だけでなく、諸外国のワクチン機関でも徐々に適用された。ベルリンのH.A.GinsやハンブルグのE.Paschenのような権威が、「wie es in Japan geschiet,(日本を例に).」と、日本で伝統的に使用される手法としてフェノール法を紹介した[5]。現代に至っても、ワクチン皮膚粗苗(vaccinal dermal pulp)を汚染する細菌の殺菌にフェノールがWHOによって推奨されている[6]。

種ワクチンの力価の維持に本格的な手法が確立されたことで、必要量の種ウイルスの供給が可能となり、1902年に、二つある政府系機関の一つ、大阪の天然痘ワクチン機関が設立された。

北里による緻密な調査の下に生産された天然痘ワクチンは高品質であり、依頼に応じてアジア各国に輸出されることもあった。

日露戦争では天然痘流行地に輸送され、日本兵100万人当たり、僅か症例362件、死者5名と報告された[7]。

W.Oslerは、日本におけるワクチン接種の決定的な有効性を示すものとして、その統計を紹介した[7][8]。

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