序章
1860年以来毎年、モンペリエ大学医学部では、医化学の講義が始まるとベシャン教授の助手が教授の講義における基本原則を掲示板に告知する習慣となっていた。この発表は「Les Microzymas(p 37-38)」の冒頭に収録されており、これは1860年時点でこの件に関する教授の見解が確立しており、以来誤りを指摘するものが何もなかったことを意味する。
・化学は一つだけである。物質には化学的・物理的活性だけが備わる。
・本質的に有機的な物質は存在せず、全ての物質は鉱物である。
・有機物とは、組成に炭素を必須とする鉱物に過ぎない。
・化学が定義する有機物は、組織物とは決定的に異なる。
・有機物は化学合成で生成可能だが、組織化は不可能である。畢竟、細胞の創造は不可能である。
・物質の組織化能力は既成生命体に原初的に宿る。
・有機物の変化は、その組織化の有無を問わず、有機的存在の組織が有する多様な機構により発生し、この変化は通常の化学法則に従う。
・化学の観点から、植物は本質的に合成装置であり、動物は分析装置である。
導入と歴史
血液が凝固する事実、それは自然な流れで自発的現象とされ、数多の生理学者・医師・化学者達がその解明に挑んだが、満足な成果を得ていない。その顛末を詳述しようとも、偏った仮説と、先人が遺した体系の無益さを証明するだけだろう。この仮説の中で唯一つ注目に値するものがあり、それはまさに近頃の研究者が検討も検証も怠っているものである。この仮説の着想までの経緯は非常に興味深い。
有史以前から、流血は直ぐに、赤味のある、一貫して多少の軟性を有する有形の塊となることが知られており、同種の流体の凝固現象に準えて「凝血a clot」と呼ばれた。
18世紀、ハラーHallerが(ドゥニ・ディドロDenis Diderotの百科事典「血液」の項目の捕捉にて)、血球に関するレーウェンフックLeuwenhoeckの誤謬を訂正しつつ、血球は血液の赤色部分にのみ存在する必須要素だと述べ、「恐らく牛乳にも存在する」と遺した。だが彼は、「血球は一定の形状をしており、脂質粒子の集合体などではなく…外接で、境界を有する固体」だと認識していた。そして初めて、血液自然凝固に(アリストテレスに遡りつつ)理論的基盤を提供した。「アリストテレスを中心に古代人は血液の構成成分を線維だと捉えており、学者はこれを凝固性物質の基盤だと考えていた。血液を放置すると必ず凝血塊が形成されるが、実に微小な膜状の網目構造をしており、線維物はそこで確認できる。これは液体部分から分離すると容易に視認可能である。」
しかしハラーは線維物が実際的な血液の構成成分だとは認めず、「この線維物が血球と並んで血液中に存在するとの理解を著者が我々に要請するならば、確実に誤りである。」とし、その見解の根拠に数学者のボレリBorelliを引用している。ボレリは「線維物が血液の構成成分であることを初めて否定した人物であり、ブールハーウェBoerhaveとその一派もまた同様である。」と述べ、更に「特定の条件下で線維物と破片が血中に生じると言う場合、氏はその点には反論しなかったが、この線維物と破片は、血液の赤色部分よりもリンパ液で生じるように観測された。」つまり、ハラー曰く、血液には固体の有形物は何も含有されず、リンパ液と名付けられた液体部分に小球がある。その小球の可視化方法として血液に特定の塩を添加し、流動性と色彩を高めることを勧めた。「全ての塩の中で血液に最良の色彩を付与するのは硝石(KNO3)である。」と述べている。
ハラーは血液のリンパ液から凝血の線維物を分離したことで、ハラーと同様、全成分が完全な溶液状態のはずの液体部分には小球が懸濁しているだけであると観測した学徒の先駆者であった。
凝血の形成条件、その形成部位の血管に沿った形状、進行性の収縮、黄色の漿液(当時血清と呼ばれた)の排出など、全てが慎重な好奇心で観察された。収縮後の血液を水で洗浄して色素を落とすと白色の物質が生じる。これは血液の線維部と呼ばれ、化学用語の改変でフィブリンと命名された。フィブリンは最後、凝固直前のホイッピングにより分離された。功名なドイツ人の生理学者J.ミュラーMullerは、ハラーに賛同して以下の記述をしている。「血液の液体部分とは、凝固前に存在した無色の液体を指し、その液体中を血球が浮遊している。」「その液体には、血液の全成分が完全に溶解している。凝固の瞬間、それまで溶解していたフィブリンを液体自体が分離する。」そして蛙の血液の観察結果から「アルブミンに加え、フィブリンが血液の液体部分に溶解していることが証明された。」と考えた。H.H.シュルツSchultzeがハラーの言うリンパ液に”血漿”と名付け、同じ物質をミュラーは”リンパ・サングイニス”と呼んだ。
J.ミュラーの結論は、既出の考察形式に対する反論・矛盾であった為、より慎重を期していた。W.ヒューソンが二つの見解を発表した。前者はミュラーに賛同したものであり、後者は独自の見解であった。前者曰く、フィブリンは血中に溶液状態で存在する。後者曰く、微細な顆粒状に懸濁して存在し、更に小球の内にフィブリンは含まれないことを認めた。
ミルン・エドワードMilne-Edwardsはヒューソンの後者の見解を採用し、フィブリンは溶液状態ではなく、固体で微細な分裂状態であり、微細な顆粒状のまま出血して放置されると、凝血形成過程、或いはホイッピングにより線維質へ統合されてフィブリンを形成するとした。
デュマDumasは、ジュネーブの医師プレヴォーPrevostとの共同研究で、凝血の解釈にフィブリンの小球起源を初めて認め、後にミルン-エドワードの見解を限定的に認めた。
そうした天才達の見解の解説は重要である。デュマは述べる。「フィブリンが有するどの特性も血液中での状態を説明する手段になり得ない。既知の処理法ではこの状態に戻すことも叶わない。事実、血液中には、液体で自発的な凝固性のフィブリンがある。血中のフィブリンは溶液状態ではなく微細な分裂状態であり、液体が動的である限り維持され、静的になると突然停止し、これはフィブリン粒子が線維と膜状の網目に統合しようとする性質の結果であるという信念に帰結する。」
後に彼はこの見解を以下のように修正した。「血液には、無数の自発的な凝固性のフィブリンが懸濁状態か、極めて溶液に近しい状態で存在し、実際に溶解しているように見える。独特の流動状態であり、これは水と混ざった澱粉が溶液中で示す性質に似ている。」
だが、ヒューソン、ミルン・エドワード、デュマらによる、血中のフィブリンの特殊な状態に関する何れの見解も、真実に切迫して多くの考察対象となるも、次第に注目を失った。生理学者は徐々に、J.ミュラーとシュルツが採用したハラーの見解に回帰した。”血漿”がリンパ液の名を踏襲し、小球を除く全成分が血中に溶液状態だとされた。遂には、血液中にはフィブリンが溶液状態ですら含有されないものとなった。
つまり、血液凝固の”corps de delit”(犯罪体)と呼ばれたフィブリンは、次第にアルブミンと同じ物質であるとされ、その後
・血液中のアルブミンは、血液のアルカリと結合したフィブリンに他ならず、非結合部位が凝固可能である
・血漿にはプラスミンがあり、プラスミンは血管外での自発的な分解により、有形のフィブリン、メタルブメンという溶液状態のフィブリンへ変形する
・フィブリンは血中にも血漿中にも存在しない
・しかし、体液中にはフィブリノーゲンとフィブリノプラスチンなる物質が含有され、血管外で発酵素の影響により、アルカリ等を除去しつつフィブリンが生成される
と続いた。
テナールThenardに賛同する化学者はフィブリンを動物質の分離物と見なし、つまりシェヴルールChevreulの定義する”近成分”である。血液凝固現象の原因へ関心を寄せたグレナールGlenardが、フィブリンをテーマに以下の記述をしている。「科学界はフィブリンの組成、凝血の犯罪体の組成を未だ構築できていない。フィブリンはアルブミンに由来するか、段階の一つと捉えるべきか不明である。この物質の定義は化学者間で異なる。余剰成分か排泄物か、栄養分か有機廃棄物かも不明である。」
こうして、仮説に仮説が累積した一世紀後に、我々がハラーの遺した問題に回帰したのは当然の結論である。ミルン・エドワードやデュマの構想、その検証に近しい研究にも注目されぬまま、フィブリンの本質も起源も解せぬ科学が、凝血現象の解釈を超自然に頼ったことは驚くに値しない。
著名な英国の外科医ハンターHunterはこのように考えた。「血液は印象で凝固する。つまり、血管から流出後の静止状態では、流動性は都合が悪く、もはや必要ないため、固形性という必須の習慣に応じて凝固する。血液は内なる力を秘めており、その力で必要性の刺激に適応するように作用する。その必要性は、自身の置かれた立場から生じる。」
ハンターのこの記述はハラーと同時期のものである。月日が経ち、ヘンレHenleが、循環系の停止直後に生じる血液凝固の原因は不明だと前置きした上で、「凝血は屡々、生命の最期の行為、血液自身の死と考えられている。」と記述した。
これはヘンレ自身の見解ではないが、最近になって再浮上し、血漿なる用語が表す器官系と調和するようになった。端的に、血液凝固に関する興味深い観察を纏めたこの著作から、以下のような命題を集約できる。
“血液にはそれ自体の生命が宿る。”
“凝血とは血液の死と同義である”
“自発的な凝血事象により血漿はその主要特性である生存を失い、組織的な体液の状態から近成分の不活性な凝塊に至る”
“凝血とは即ち、血漿の組織崩壊である”
“外来物質と接触し、流血という致命的影響との数分に亘る格闘こそ、この組織の真実である”
ここで深堀する前に、言葉の裏にある実体を探ってみることにする。
確かに、前述の命題を挙げた著者は、ハンターの如き”印象”、”固形性という必須の習慣”、”必要性の刺激”等々を血液凝固現象の解釈に使用してはいないが、では氏は”超自然的原因”の浅瀬から免れたのだろうか?
生体由来の血液が生きていることは真実である。しかし、血液凝固がその死により生じるとは超自然的”解釈”ではないのか?
有機的体液である血漿の主要特性が仮に生存にあるとすれば、その生命の損失に直結する接触という致命的影響に対し、組織が格闘をするというのもまた超自然的”解釈”ではないか?
また、水溶液である血漿の構成成分は近成分に他ならず、仮説上も定義上も完全な溶液状態であって、その凝固の原因が組織崩壊等とするのは超自然原因の解釈ではないか?
そして超自然原因による解釈の価値とは何か?この問のニュートンNewtonの解は以下の通りである。”諸々の事物が、その一定の作用力により特定の超自然的性質を有し、感覚的影響を生成し得るというのは、全くの衒学である。”
それにも関わらず、1875年のグレナールが、この現象の説明を求めて解剖学、生理学、化学以外の考察に走ったとすれば、それは当時の科学が微々たる満足も提供しなかった為である。同年のAcademy of Sciences紀要には、所謂牛乳の凝固を血液凝固に準えた解釈が見受けられる。
更に、フレイFreyがJ.ミュラーとハラーの研究手法に回帰してこう述べた。「解剖学的には、血液は、無色透明の液体である血漿(サングイニス液)と、並びにそこに浮遊する二種類の細胞性元素、つまり有色細胞の赤血球と無色細胞のリンパ球が研究対象となる。」そしてフィブリンに関して彼はこう付言した。「凝固前の体液中に如何なる形態で存在するかは不明であり、一般にアルブミンの誘導体と仮定されている。」要するに、血中において赤血球と白血球が唯一の有形元素であり、ミュラーがサングイニス液での証明を確信したように、血漿もまたその構成成分を完全な溶液状態で保持しており、この成分は有機的観点によりアルブミンに還元されるということになる。フレイは完全にそう確信しており、「生体の栄養液中で生成される急速な栄養転換物が、生前はフィブリンの形成を阻害する。」この説明では、流血時の血液はフィブリンを含有しないことになる。
そして現時点では、ハラーもミュラーも、リンパ液、或いは血液の液体部分が有する生得の性質に関しては公平な分析をしているように思われるだろう。しかし、血漿を”サングイニス液”と同義語とする場合、問題は予断を許さない。同義としての血漿は、生体や生命の特定の構想に付随し、つまり”生命は物質の活動の特殊な形式である”とする体系に準じる為、この体系はビシャBichatの教義から著しく乖離するのだ。ビシャ曰く、”生命は物質に直接付随せず、その形態と構造に限定された解剖学的元素に付随する”。この点を、私は血液凝固の解剖学的、生理学的解釈において強調しよう。
しかし私とエストールEstorは、血液には二種類の小球の他に、第三の有形元素があることを証明し、その形態と特性を正確に特定し、血液凝固現象を何ら超自然的要素なく説明することを可能にした。
数年後、グレナールが論文中で我々の研究に言及した。「今後の執筆で詳述する為、ベシャンとエストールの”微小発酵体microzymas理論”と題した章は割愛する。」
グレナールが、上述の章を自身の論文から省いた経緯を何処かで創作したかは不明である。私は、エストールと共に取り組んだ研究が頓挫した多大なる悲嘆に暮れていた。1876年の離別後、エストールが早すぎる死を迎えたことで、私は高名で献身的な戦友を失ったのだ。私は独力でこの問題の完全解決に挑まねばならなかった。私の最新の研究は、フリーデルFriedel氏がソルボンヌに提供してくれた研究室で行われている。
私の研究成果の一部は、方々の学術誌に掲載された備忘録に残してきた。1895年、ボルドーで開催されたフランス科学振興協会の会合にて、その最新版が小冊子で提出された。しかし、数点、特にこの研究の極致であり要となる点は、本書の登場まで未発表のままであった。
血液中の第三の有形元素は自然凝固現象の研究過程で発見されたわけではないが、エストールと私は、当時主流のフィブリン生成理論に基づき、第三の有形元素を凝血形成の解釈に応用した。フィブリン研究を血液凝固の観点から再開した際、乳汁の凝固問題は全く異なる文脈で解決しており、これはグレナール論文の出版より随分遡ることになる。氏は以下のように述べている。「凝血の主要因に無知なだけでなく、その間接要因すら不明である。この血液の状態変化が物理的・化学的現象であるか、結晶化か沈降化であるかも不明である。」
私の誤読でなければ、これは著者がハラーや、後続のミュラー、ヒューソン、ミルン・エドワード、デュマが確信した構想にも疑念があったことを意味する。即ち、凝血形成はフィブリンが直接的・間接的原因であるとする説である。凝血は血液の状態変化とする発言からして、著者は血液の解剖学的・化学的組成を、乳汁のそれと同じく理解していないことを証明している。
1869年の我々の備忘録には、血液中の微小発酵体がフィブリン生成の第一要因であり、凝固の間接要因だと明示されている。最新研究では更に、血中の微小発酵体とフィブリンの存在量は相関関係にあり、一方が他方の前提となることを証明した。この相関関係の説明には、デュマが発展させたミルン・エドワードの構想を完成させつつ、検証するだけで良い。
この新たな研究は、有機物や一般的な近成分、特に天然の動植物質等、物質自身による自発的変化とされた現象の原因究明に纏わる新旧の研究を統合した。即ち、
(1) 発酵素の起源問題と発酵の生理学理論
(2) 発酵素の自然発生説の否定的解決
(3) 呼吸中に生じる生体の尿素の起源
(4) アルブミノイド物質の化学的組成、並びにその分子構造の正確な特異性の証明
(5) ビシャの教義に準じる真の生体理論
すると、血液自然凝固問題の完全解決には、極めて解決が困難な難題を先んじて解決する必要性があると判明する。ここに時系列で列挙する。
1.凝血の分離物、血液のホイッピング抽出物、各々のフィブリンの性質
2.アルブミノイド近成分の真の固有性
3.流血の瞬間における血中フィブリンの状態
4.赤血球の真の構造
5.流血の瞬間における血液の真の組成
6.流血が凝固する真の生化学的意味
上記は後の章の見出しとなる。この後の展開により、血液自然凝固現象が、血液自体の凝固ではなく、その第三の解剖学的元素による凝固であることが理解可能となる。 そして、不適切に凝血と命名された現象が、その後の血球破壊や赤色物質含む諸々の変化が生じる血液の完全なる変化における第一段階に過ぎず、更には、血液のこの自発的変化は、生死問わず動物から分離される固形質・体液状の動物質の全てが起こす至極一般的な現象の特殊例に過ぎないことが明確となる。動物質に宿る変化能は、生理学的に自発的で不可欠であり、時に細胞の解剖学的元素自体の破壊をももたらし、これは、これらの物質に内在するマイクロザイマスが主因の特殊な発酵現象の結果である。