“知性の最大の障壁は、事物への願望を故に信じることである“
-ルイ・パスツール
アリスタルコスの時代と同じ段階に囚われた人間の知性が、地動説と同様に生物の微小発酵体理論へ何故反発するのか、現代人の知性に浸透した偏見の何たるかを知る必要がある。
ラボアジエの物質理論からビシャは有機的生命の構想を閃いた。「生命とはただ化合物との結合物ではなく、個として自律的に生きる解剖学的元素に紐づく」この構想はフールクロワに「植物とは、シェヴルール氏の云う処の定比近成分、実験的に抽出可能な物質を生成する有機的機械であり、如何なる芸術の小道具であろうと模倣できはしない。」と言わしめた。1849年にゲルハルトGerhardt はその件に触れた折、「生命力のなす業だ」と述べた。従って、ベルテロBethelotがラボアジエに回帰して、近成分とは合成した化合物だという証明を志したのは徒労であった。ビシャに始まる構想の合理的な結論は、細胞が個として生きているという概念でさえ廃れていき、そして
「動植物の近成分は、定比か不定比を問わず、一般に非常に複雑で、気体・液体・固体であり、相互固溶体reciprocal solution、即ち体液と、解剖学的元素の特殊な結合による有機的物質を構成する有機体である」という見解に落ち着いた。
学問体系に根付く偏見を誑かすべく”相互固溶体””特殊な結合”などという曖昧な表現が使用され、お蔭で科学者は生体内の近成分を純粋な化学物質と見做すのみとなった。組織中の解剖学的元素にある自律性は軽視され、植物学者ヒューゴ・モウルHugo Mohl の云う原形質protoplasmが生きた有機的物質(※形態学的に未決定、つまり、構造化されていない)であり、そこから生命全体が発生するものとされた。こうして、血液中の血漿を例に、あらゆる近成分が完全な溶液状態とされる液体が有機的で生きており、死を経験しうるものとなった。
これはビュフォンの有機分子仮説より更に遡り、物質はその性質上生物活性を有するという古来の仮説や、フロギストンの時代に構想された組織体を物質の最高級の変性とする古来の仮説に回帰するものであった。
これが1857年時点の科学である。動物の膜と組織はただの窒化物質だとされた。この見解の顛末を考察しよう。
1839年にフレミーFremyが、特定の動物の膜が乳糖と共に乳酸を生成することに気付き、これはシェーレSheeleが酸敗・凝固した乳液のホエイに発見したものである。ここで、糖液をあらゆる種の動物の膜・組織、クリームチーズやグルテンで処理し、同時に、乳酸をその生成時に飽和させる目的でチョークを使用すると、乳酸発酵が生じた。
ベルテロが別の視点からこの実験を再試し、乳酸生成を無視せず、しかしマンニット糖から類似物質、果てはグリセリンにまで拡大した。1857年の覚書で著者はその研究成果を「Sur la Fermentation Alcoholique(アルコール発酵について)」と題して発表した。そこで氏は、生成されるアルコール量が、乳酸や付随する他の生成物の量を上回る場合があると記していた。しかし、乳酸発酵かアルコール発酵か、その現象の名が何であれ、ベルテロの実験がもたらしたものとは:
「発酵の原因は化学的性質、つまり、組成に内在するようであり、発酵の役割に適した窒素体(クリームチーズ、卵黄、筋肉、膵臓、肝臓、腎臓、脾臓、精巣、胆嚢、小腸、大腸、肺、脳、有毛皮膚、血液、乾燥したフィブリン、乾燥酵母、グルテン、ゼラチン)の形態の内ではなく、また、組成が受ける連続的変化に内在する。」
総括すると、彼の見解は以下の通りである。「糖化体と窒化体は、互いに相互影響を及ぼしつつ同時に分解される。」
端的に、(互いの)組成にある物質による自発的発酵ということである。
炭酸カルシウムの代用であるチョークが確実に必要となるのは、例えばマンニットの発酵等の特定の場合に限られるとされていた。更に、炭酸カルシウムは、培地を中性に保つ以外に、「発酵を生起する窒化物質を特定の状況下で分解させる」という役割があった。この現象の解釈に関してベルテロは、ジアスターゼによる芋澱粉の糖化saccharification、シナプターゼによるアミグダリンの分解、遂には硫酸によるアルコールのエーテル化を関連させており、端的に、ミッチェルリッヒMitscherlichやベルセリウスBerzeliusと同様、接触触媒反応と呼ばれる作用と結びつけていたようだ。
ベルテロは、ロビン、モンターニュMontagne、デュジャルダンDujardinらの協力で、組織の破壊および特定の生物(ムコール、ビブリオ、バクテリア)の発生の立証に成功した。氏はその生物の由来には触れず、分子状粒子にも言及せず、しかし「この生物の発生は私の実験の成功に何ら必要なものではない」と断言している。
私がベルテロの重要な研究の解説に尽力したのは、この研究がカニャールの見解に対する最大の反抗に努めている為である。しかし、同じ実験で完全に正反対の結論が得られるはずである。
事実、翌年にパスツールがベルテロの実験条件下における砂糖の乳酸発酵に関する覚書を発表し、シュワンの見解を採用しつつ、特殊な生物の発生が発酵現象の唯一の原因だと主張したが、分子状粒子に対するベルテロ以上の言及はないものの、ある特定の生物に乳酸酵母と命名し、ビール酵母がアルコール発酵を起こすのと同様、乳酸発酵を起こす存在と認識して峻別したという利点を備えていた。だが、これらの生物、特に乳酸酵母とアルコール酵母の発生は、氏の見解に寄れば何が原因であったのか?氏には二つの仮説の選択肢があった。一つはスパランツァーニとシュワンによる空中芽胞仮説、他方は自然発生説である。氏は後者を選び、これらの生物は窒化物質のアルブミノイドから自然発生したのだと主張した。この証明の為に、氏が以降二つの実験を実施したことは記憶すべき重要事項である。
「乳酸酵母は条件次第でビール酵母と同様、容易く自然発生する。例えば、第一に、無添加の加糖酵母の溶液、第二に、同じ溶液にチョークを添加したとする。前者の透明な溶液にはビール酵母が生まれ、アルコール発酵が生じる。後者の溶液には乳酸酵母が生まれ、乳酸発酵が生じる。酵母は、自身の水溶性部分から得られるアルブミノイド物質から自然発生する。ビール酵母が生じるのは酵母の溶液が酸性の為であり、乳酸酵母が生じるのは、チョークが酵母を中性にする為である。」
以上より、パスツールとベルテロは、マッケル条件の下で窒化物質の自然変性について各々独自の経路から提案したものと言えようが、パスツール曰く、この変性は発酵体の自然発生の結果であり、一方のベルテロはこの生物の起源について見解を示していない。
乳酸酵母の作用に関してパスツールは如何なる理解をしたのか?カニャールは、砂糖の発酵現象は酵母の植生影響だと言った。パスツールは乳酸酵母について「その化学的作用は酵母の発生、及びその組織化と相関関係にある」と言ったが、表現は違えど同じことであり、接触触媒反応による解釈に分類可能であろう。
パスツールの発酵現象に関する当初の研究をこうして私が強調するのは、二つの理由がある。
一つ。「特殊な生物の存在無くして発酵現象による有機物の自然変性は生じ得ず、空中芽胞仮説に則ると、これらの生物は自然発生の産物ではない」とする構想の確立に努めたシュワンの奮闘が如何に徒労であったか、それを明示する為である。
二つ。こうした生物や、ビール酵母、乳酸酵母に関して、1858年時点のパスツールは自然発生論者であり、「有機物は自然変性する」との言論を展開していたことを示す為である。数年後のパスツールが、突如として、発酵体は決して自然発生せず、空中の芽胞に由来し、終には発酵にアルブミノイド物質は不要であると発見する様子を振り返ろう。後に氏は、全ての有機物は、仮令完全な死体であろうと例外なく、これらの芽胞の存在無くしては永久に不変だと証明した体裁をとることになる。手始めに、1860年のビール酵母による甘蔗糖のアルコール発酵に関する覚書 の結論部分を参照するのが有益であろう。
この研究で、パスツールは改めてビール酵母の自然発生を主張すると共に、グリセリンが(葡萄発酵によるワイン成分中のグリセリン同様)発酵産物であるという全く新しい事実を指摘したことを念頭に置きたい。また、氏はここでコハク酸も発見している(コハク酸は遥か昔にシュミットSchmidtが発見している)。
ビール酵母細胞の化学的作用も、等しくその発生と組織化に相関する。事実、氏はこの現象において酵母に他の役割はないと確信していた為に、あらゆる発酵産物が糖由来である証明に努めていたが、発酵現象が発酵体内部で生じる栄養現象だとすれば、これは生理学的に異端となるだろう。
甘蔗糖が直接発酵するか、或いはまず転化が生じるのか、この興味深い問題に関して、(発酵現象の均衡には甘蔗糖と水の混合が不可欠だと証明したデュマに賛同する)デュブランフォーDubrunfaut の見解と同じく、パスツールは直接的な発酵を主張し、転化はコハク酸の生成後に生じるものとしている。
だが、氏は、私が空気に晒した糖液中に誕生した有機的生成物による糖の転化を証明したことを知っていた。それにも関わらず、氏は以下のように記している。「私は、酵母の小球の中に甘蔗糖をブドウ糖に変化させるような何等かの特殊な力が存在するとは思わない。」
また、糖のアルコールと炭酸への還元がシナプターゼによるアミグダリンの還元に例えられるというベルテロの考えも氏は知っていた。酵母は動物と同様、栄養源を糖分のみに依存しておらず、平時の生活に適量のアルブミノイド物質を要求するとデュマが明言していた事実も知っていた。こうした重要な問題の解明に氏が何もしなかったとすれば、組織化と酵母および動物細胞の生命との間に共通点はないという先入観に支配されていた為である。何故なら氏は、発酵体とはその目的により分離した生物であり、発酵現象は個別事象だと確信していた。氏は、各々の発酵現象には、対応して特有の発酵体が存在すると主張した。
こうした信念と所見を元にパスツールはある実験を提案することになるが、この実験にE.ルーRoux 博士は茫然(!) として「パスツールの実験experiment à la Pasteur」と題した。
この記憶に新しい実験は、適量のアルブミノイド物質もない加糖培地でのビール酵母の増殖、つまり繁殖を伴う植生を目的としていた。この実験の実施に至った経緯は以下の通りである。
甘蔗糖の溶液中に生じた多様な産物が起こす転化、特に特定の非アンモニア性ミネラル塩を加えると、その産物の増加と共に変化が生じる効果を発揮する点に、パスツールは強い衝撃を受けていた。さて、これらカビの(組成分である)アルブミノイド物質の合成に必要となる窒素は、加糖した液体に接触するフラスコ内に残存する空気に由来する他はない。
パスツールはこの実験を繰り返し、多くの種にいる真の発酵体がその成長にアルブミノイド物質を必要とせず、化学合成により生成されるものと確信するに至った。発酵体は加糖培地にあるアルブミノイド物質から自然発生するものと断言していた氏は前言を展開する必要に迫られたのだ。
間違いなくパスツールは、自然発生説を疑う余地のない絶対確実な証拠とする目的で限りなく単純化した実験条件でビール酵母が出現する様子を目の当たりにしたはずである。
砂糖漬けの溶液に、アンモニア酒石酸塩と、酵母の灰をミネラル塩として加えれば更に良好な結果になるものと氏は考えたが、然して変わらず、そこで同じ混合物に大量の酵母を加え、アンモニア酒石酸塩と砂糖が結合してアルブミノイド物質が生成されて酵母の小球が増殖することを期待した。この実験結果には2つの版がある。
一つはルーによる報告であり、当初のパスツールの結果に一致、ないしは模倣するものであるが、以下の通りである。「パスツールは、炭酸の遊離、酵母の増殖を観察し…全ての糖が消失してアルコール、炭酸等に変化する様子を観察した」
他方のパスツールの報告 はこれとは全く異なる。実際に炭酸は遊離していたが、微視的な小球の中にいた。砂糖が幾分消失したが、10g中5.5gが発酵していなかった。アルコールが極微量ながら検出されたが、計量には足りなかった。では消えた砂糖の行方は?乳酸に変化し、「豊富な生石灰limeの乳酸塩の結晶」が得られた。端的に、アルコール発酵ではなく乳酸発酵が生じた!
では、微小発酵体理論に基づく事実の説明に移る。
芽胞仮説を無視し続けるパスツールは、異常な生理的環境にあるビール酵母が、貯蔵物を消費しながら球体状に増殖した後、やがて枯渇する時期が訪れること、古いものに次いで新しく、インフソリアと乳酸酵母が液体の一面に増殖する様子を観察した。「インフソリアが姿を消し、乳酸酵母が増殖した」とパスツールは言う。約一カ月後も乳酸酵母を増殖させ続け、発酵素を集めて計量した。
パスツールは自身の結果を”最も厳密で正確”だと評した。しかし、氏の実験条件下では、採取された酵母の量は蒔いた量に劣るものと断言しよう。さて、氏には酵母の増殖と乳酸酵母の生成と思えたものの考察から、この実験を「発酵現象を新たな日の光で照らすもの」と評した。
この宣言は、私の1857年の備忘録にある実験にこそ相応しい。これぞ誠に実証的であり、この実験を幾度も模倣したパスツールは自身の功績にしようと企んだ。事実、これは科学に害を為す盗作だったのだ。
1860年時点におけるこの問題の状況を完全に説明するものとして、ベルテロの実験を私個人の見解で紹介しよう。著者は、ゼラチン、グルコース、重炭酸カリウムの溶液を作製し、炭酸で飽和させ、ぬるま湯で濾過した後、完全に満たした花瓶に入れて放置した。数週間後、ガスが放出し、大量のアルコールが生成された。同時に微量の不溶性沈殿物が生成し、この沈殿物は「ビール酵母より遥かに小さい、全く異なる外観を持つ、膨大な数の分子状粒子で構成」されていた。
ベルテロはこの分子状粒子に何等の役割を見出さず、自身が「空気と接触しない」実験を実施したものと信じており、1857年のまま、炭酸カルシウム(チョーク)やアルカリ性重炭酸塩は、発酵の原因となる窒化物(この場合ゼラチン)を、発酵現象の段階を制御することで特定の方法で分解させるものと主張した。要するにベルテロは石灰岩と純粋炭酸カルシウムを区別しておらず、この点パスツールと一致しており、分子状粒子の出現に空中芽胞が何かしら関与するとは信じなかった。端的に氏は、パスツールの云う乳酸酵母も分子状粒子で構成されており、それが組織的で生きている証拠は何もないと自然に考えていたのである。
これが1860年、そしてその以降にも波及した知的状況である。1857年の私の備忘録の時点で既に明白であり、その後微小発酵体理論が裏付けることになるが、生体組織の事実を特徴づけるものが…諸派の自然主義者が未だに信じるような…一部の器官や何等かの構造、あらゆる有機的存在における多少なり自発的・意識的な運動、或いは微小発酵体や分子状粒子、乳酸酵母、或いはビブリオの如き存在を本質的に確立するのではないとは知られていなかった。寧ろ、その性質や種に応じたザイマスの生成・分泌し、発酵現象と呼ばれる物質変形の化学・生理学的現象の生成ないし決定する特性の確立であり、これは栄養、即ち消化、及びそれに続く吸収、同化、異化等、そして最終的に栄養に依存する諸条件が満たされた場合の自己増殖作用である。
これぞ、1860年にビール酵母による甘蔗糖の発酵と酵母の増殖は相関すると断言していたパスツールには理解できなかった内容であり、そして氏の主張は、動物が砂糖のみを栄養源とすると想像する如くに巨大な生理学的異端である。
しかし、その直後、有機物の変性や発酵素の生成の説明に未だ芽胞の存在を明示していなかったパスツールが、それまで自然発生説で説明してきた現象を芽胞で説明するようになった。端的に、氏は私の仮説検証を厳密で正確と判断して1862年に自然発生説への反論を発表し、そこでクロード・ベルナールが改良したシュワンの実験法を採用しつつ、あらゆる有機物の変性をシュワンのそれと同様に説明している。これが氏の2度目の盗作である。
1862年の備忘録にある氏の実験は、空気中から沈着する可能性のある芽胞を滅菌する目的で調理した有機物で実施されている。1863年、ビブリオ進化能力のある芽胞の存在否定、並びに空中芽胞がなければ不変である証明を目的に、未調理の血液と生肉で実験を繰り返した。氏は血液と同様の方法で生肉を加熱することができず、クレオソートの代用にアルコールを用いつつ私の実験法を採用した。
これが第三の盗作である。しかし、抗菌剤の使用にもかかわらず生肉の深部に発生したビブリオを氏は観測できず、空中芽胞の不在故に血液も生肉も腐敗しないと結論した。そして血液にも生肉にも有機的存在は何もなく、全ての動物質は、空中芽胞無くしては永遠に不変のままであることが証明されたと考えたのである。
パスツールがこうした実験に明け暮れる中、私は1857年の備忘録の結果を進展させ続けていた。特にワインの発酵に空中芽胞が不要であるのみならず有害であり、葡萄は通常、澱の発酵体の細胞、即ち、芽胞だけでなく完全に成長した発酵体を自身の元に運搬することを証明した。1864年のことである。
最後に1865年、牛乳とチョークの中には、前者に自然変性を起こし、後者に乳酸発酵を起こす原因因子が存在する事実を私はデュマに告げ、翌年その原因因子に私は微小発酵体の命名をした。
チョークの発酵体を報告した私の備忘録に関する委員会に指名されたパスツールは一言も触れず、私はエストールと共に高等生物の微小発酵体の研究を、後書で言及する病理学への応用にまで継続した。これが1870年のことである。
1872年のパスツールの盗作は最も大胆なものであった。私の発見から8年後のことである(※その発見の経緯は後述する)。葡萄の中に、葡萄を発酵させる発酵体が自然に存在する事実を突如として発見したのだ。関連して、動植物質が自身を自然変性させるものを先天的に内包しており、その細胞は空気中の芽胞を必要としない発酵体であるとも発見していた。つまり氏は、自身が1862年に行った実験とその結論を放棄したのだ。自身の”新発見”が一般生理学の新時代を象徴するものと宣言し、発酵現象に大きな焦点を当て「生理学と医学病理学に新たな道を開いた」と断言したのだ。
潮時だ。これまでこの人物を慮ってきたが、今こそ氏は正式に暴かれなければならない。
まず私が、後にエストールと私は共同で精力的に抗議した。我々の抗議は、デュマとエリー・ド・ボーモンElie de Beaumontが逐語的に収録した。全文はComptes Rendus 75巻1284頁 、1519頁 、1523頁 、1831頁で読める。パスツールは逃げ口上で返答したが、我々のその返答は以下の通りである。「アカデミーには、ベシャン氏および我々自身の名に挿入された観察が未回答のままであることの記録のご許可を頂きたい。」
パスツールはそれ以上何も言わず、氏が開拓したと偽る「新たな道」(我々が開拓した上に頑健に横断した道)を放棄し、自身の足取りを辿った。1858年以来、氏は微小発酵体理論の根拠となる結果や作用の意味に異論を挿まなかったが、結果や事実の正確さを把握しており、その発見を自身の手柄にしようと企んだ。斯くして1876年、全てを空中芽胞で説明することを企図したということだ。1862年に自然発生説で”説明”した現象を、である。
手始めに、氏は1863年に血液の実験に取り組み、その実験が、フィブリンの微小発酵体発見後のエストールと私にとって批判に値しないものと映ると考えた為か、それを有名(!)な実験と認定し、微小発酵体の実在否定にさえ利用したのだ。その後氏は、未調理の牛乳は、血液と同様、自然な空気との接触を遮断された場合に不変であり、空中芽胞の存在無くしては、発酵体も微生物も存在せぬ故に発酵も腐敗も生じないとの主張に承認を求めて回った。パスツールは、語源の不正確さに関わらず、この言葉(microbe)を微小(micro)生物(organisms)の呼称に採用した。
つまり、この問題について自身の行いを理解していたパスツールは、物事が自身の望むが儘だという信念を抱き、最後には自身が云う所「精神の最大の錯乱」という結末を迎えたのだ。
最も奇妙な点は、氏の言葉が容認されたこと、アカデミーを共犯にできたことである。
氏は同時に、微小発酵体理論に関連する著作を巡る「沈黙の陰謀」を組織していたことも事実である。そう、徹底的に、である。ある日、私が微生物の教義を批判し、微小発酵体理論を擁護した議論の後に、コルニルCornilが、パスツールの発見は各国で検証されており、反対者は私だけだと強弁してきた。その私の返答は以下の通りだ。
「皆がそう考えるから真実なのではない。私は既に過去の電信で原形質protoplasm系がその原理においても、その結果においても誤りだと証明した。微生物教義も然りである。科学と人間の理性の尊厳の為にも、全て捨て去る時に来ている!」
議論はそこで終わらなかった。パスツールが真理に対して抱く敬意の何たるかを明示する為にも、「The History of the Microbian Doctrines(微生物教義の歴史)」にて、最大の教訓の得られるその後の顛末を綴る積りである。
ガリレオが異端審問で受けた如き扱いを我々が受けたのではないことは事実だが、エストールはこの時代の精神に対する厳粛な証言となる手紙を私に送ってきた。
「我々の私的な利益の名目の下に、(我々が)開拓した道をこれ以上先に進まぬよう研究所の人員が懇願する手紙を公表することもできます…しかし、科学と誠実さの結び付きを求める者が在る所どこへでも、我々の精力的な抗議が届くのだということ、連中に納得させましょう。」
この誇り高き良心的な学徒は悲観してこの世を去った!
今日の微小発酵体理論は歴史に倣い、権力者の習慣・情念・利益に反する新たな真理の全てと同じ運命を辿っている。人間の理性、即ち、優柔不断で信念の欠けた偽善的かつ独善的側面に、アリスタルコス、ソクラテスやガリレオの時代から進歩がなかった為である。人類のそうした側面こそが、盗作者に、その盗作の被害者への悪口雑言を赦すのだ。